
小林建設物語
Story
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宝物は自分たちの中に眠っていました。
父も大工、祖父も大工、そして曽祖父も大工。誇り高い大工の家で育った四代目社長・小林 悟。
新しい時代の中で、自分たちが生き残るにはどうすればいいかを模索するうちに、自分たちがかけがえのない財産をもっていることに気づきました。
それは、本物の家づくりをすることができる技と、本物であるために努力し続ける意志。
先祖からの素晴らしい贈り物に気づくまでの道程を、社長・小林 悟が語ります。
新しい時代の中で、自分たちが生き残るにはどうすればいいかを模索するうちに、自分たちがかけがえのない財産をもっていることに気づきました。
それは、本物の家づくりをすることができる技と、本物であるために努力し続ける意志。
先祖からの素晴らしい贈り物に気づくまでの道程を、社長・小林 悟が語ります。
━ Profile
株式会社小林建設 代表取締役 小林 悟
1965年出雲市生まれ。
東京の大学で建築を学び、大手住宅メーカーに就職した後、95年に帰郷。
急逝した父の跡を継ぎ、97年代表取締役に就任。
一級建築士、宅地建物取引士。
大工の家で育って



ごく自然に培われた、職人への尊敬の念。
会社の隅に、古い材木が立てかけてあります。
なにやら文字も書かれています。よくよく見ると、曽祖父・岩次郎が、日露戦争の時にそれを書いて、どこかの家の部材として使ったようです。
会社のそばには大きな石碑も建てられています。
会社のそばには大きな石碑も建てられています。
こちらは、地域の寺社仏閣を数多く手がけた祖父・啓市の功績を讃え、地域で建ててくださったもの。そんな生粋のものづくり―大工の家で私は育ちました。

解体した家から見つかった、初代小林岩次郎の書きつけ。日露戦争の勝利を記している。

二代目小林啓市が地元の社寺を多く建立した労をねぎらい、記念碑も建てられた。
養子だった父ももちろん大工。切り盛りに忙しい母の代わりに、住み込みで働いている大工さんたちに遊んでもらいながら、私は大きくなりました。
やがてわかってきたのは、祖父も父も仕事には相当厳しい人だということです。若い大工さんたちは、いつもこっぴどく叱られながら、それでもじっと我慢して修業していました。
やがてわかってきたのは、祖父も父も仕事には相当厳しい人だということです。若い大工さんたちは、いつもこっぴどく叱られながら、それでもじっと我慢して修業していました。
職人の世界って厳しいものなんだな。それだけ、ものをつくるということは大変なことなんだなということを、思えばその時、私は肌で感じていたのだと思います。
職人に対する尊敬の念は、私の中でごく自然に培われていきました。
苦悩の改革



兄のような大工たちとのつらいやりとり。
そんな私が、とてもつらい決断を迫られる日がやってきました。東京の大手ハウスメーカーで設計業務、現場管理を学んだ後、地元に帰って会社を継ぐべく修業していた矢先、父が病気で亡くなったのです。平成9年、私が32歳の時でした。そして、その父の後を追うように母も亡くなってしまいました。
ちょうどその頃、時代はバブル崩壊後の低迷期を迎えていました。
ちょうどその頃、時代はバブル崩壊後の低迷期を迎えていました。
このままでは共倒れになってしまう。そう考えた私は苦渋の選択をしました。大工たちに、それぞれ独立してくれるよう頼んだのです。
15、6歳の頃から小林建設で暮らしてきた大工さん。私の父と母のことを、じつの両親のように思っている彼らは、私のことも弟のように思ってくれていたに違いないのです。
15、6歳の頃から小林建設で暮らしてきた大工さん。私の父と母のことを、じつの両親のように思っている彼らは、私のことも弟のように思ってくれていたに違いないのです。
この人たちに会社を出てくれと言わざるを得ないことのつらさ。小林建設しか知らない大工たちに、自分の足で歩いてくれと告げるのがなぜ私なのか。
この時期、私は大工さんの誰かに殺されても仕方がないというような、突拍子もないことさえ考えました。それくらい、私たちは切っても切れない関係だったのです。
でも、私がめそめそしているわけには行きません。小林建設は決してみんなを見捨てるわけではないこと、仕事は従来通りしてもらえるように、最大限努力することなどを根気よく説明し続けました。また、大工たちも、祖父や父が手塩にかけて育てあげた職人です。独立したと聞いて、仕事の依頼も多く、状況は徐々に落ち着いていきました。
いまでは、私たちが声をかけると、全員が気持ちよく集まって仕事をしてくれる、いい関係になっています。
でも、私がめそめそしているわけには行きません。小林建設は決してみんなを見捨てるわけではないこと、仕事は従来通りしてもらえるように、最大限努力することなどを根気よく説明し続けました。また、大工たちも、祖父や父が手塩にかけて育てあげた職人です。独立したと聞いて、仕事の依頼も多く、状況は徐々に落ち着いていきました。
いまでは、私たちが声をかけると、全員が気持ちよく集まって仕事をしてくれる、いい関係になっています。
出発の時



つくり手のおもいがこもった家。
一番うれしかったこと、それは、「自分たちの家づくりの精神は、決して古くもかび臭くもない。どんなに時代が変わっても変わることのない、普遍的なものだったんだ」と再認識できたことでした。
人が暮らす家だから、いい材料を使わなくてはならない。手は抜けない。でないと命を守れない。
人が暮らす家だから、いい材料を使わなくてはならない。手は抜けない。でないと命を守れない。
それは曽祖父の、祖父の、父の代からまさに小林建設がしてきたことではありませんか。
もちろん、大工の腕だけをたよりに、昔ながらの家づくりだけをしていては、時代に取り残されるという考えは、いまでも間違っていないと思います。
もちろん、大工の腕だけをたよりに、昔ながらの家づくりだけをしていては、時代に取り残されるという考えは、いまでも間違っていないと思います。
技術は日進月歩。伝統の知恵に学びながらも、新しいものはどんどん取り入れて、取捨選択していくべきです。また、生活スタイルも変化していますから、いまの生活に合わせた機能性やデザイン性も必要です。
それはいまからでも努力すれば身につけることができる。しかし本物をつくり続ける強い精神は、長い時間をかけて培われるもの。
それはいまからでも努力すれば身につけることができる。しかし本物をつくり続ける強い精神は、長い時間をかけて培われるもの。
それを、すでにいま受け継いでいる私たちは途方もない幸せ者だと思います。
いま、私は自信をもって「小林の家づくり」をしていけると感じています。つくり手の思いがこもった家なのです。
いま、私は自信をもって「小林の家づくり」をしていけると感じています。つくり手の思いがこもった家なのです。
