兄のような大工たちとの つらいやりとり
そんな私が、とてもつらい決断を迫られる日がやってきました。東京の大手ハウスメーカーで設計を勉強後、地元に帰って会社を継ぐべく修業していた矢先、父が病気で亡くなったのです。平成9年、私が32歳の時でした。そして、その父の後を追うように母も亡くなってしまいました。
ちょうどその頃、時代はバブル崩壊後の低迷期を迎えていました。このままでは共倒れになってしまう。そう考えた私は苦渋の選択をしました。大工たちに、それぞれ独立してくれるよう頼んだのです。
15、6歳の頃から小林建設で暮らしてきた大工さん。私の父と母のことを、じつの両親のように思っている彼らは、私のことも弟のように思ってくれていたに違いないのです。この人たちに会社を出てくれと言わざるを得ないことのつらさ。小林建設しか知らない大工たちに、自分の足で歩いてくれと告げるのがなぜ私なのか。この時期、私は大工さんの誰かに殺されても仕方がないというような、突拍子もないことさえ考えました。それくらい、私たちは切っても切れない関係だったのです。
でも、私がめそめそしているわけには行きません。小林建設は決してみんなを見捨てるわけではないこと、仕事は従来通りしてもらえるように、最大限努力することなどを根気よく説明し続けました。また、大工たちも、祖父や父が手塩にかけて育てあげた職人です。独立したと聞いて、仕事の依頼も多く、状況は徐々に落ち着いていきました。
いまでは、私たちが声をかけると、全員が気持ちよく集まって仕事をしてくれる、いい関係になっています。
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