温故知新
大工の家に生まれて
ごく自然に培われた、職人への尊敬の念
会社の隅に、古い材木が立てかけてあります。なにやら文字も書かれています。よくよく見ると、曽祖父・岩次郎が、日露戦争の時にそれを書いて、どこかの家の部材として使ったようです。
会社のそばには大きな石碑も建てられています。こちらは、地域の寺社仏閣を数多く手がけた祖父・啓市の功績を讃え、地域で建ててくださったもの。そんな生粋のものづくり―大工の家に私は生まれました。
▲解体した家からみつかった、初代小林岩次郎の書きつけ。日露戦争の勝利を記している |
▲二代目小林啓市が地元の社寺を多く建立した労をねぎらい、記念碑も建てられた |
養子だった父ももちろん大工。切り盛りに忙しい母の代わりに、住み込みで働いている大工さんたちに遊んでもらいながら、私は大きくなりました。
やがてわかってきたのは、祖父も父も仕事には相当厳しい人だということです。若い大工さんたちは、いつもこっぴどく叱られながら、それでもじっと我慢して修業していました。職人の世界って厳しいものなんだな。それだけ、ものをつくるということは大変なことなんだなということを、思えばその時、私は肌で感じていたのだと思います。職人に対する尊敬の念は、私の中でごく自然に培われていきました。