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母の死 | ブログ | 出雲市で注文住宅・古民家再生を行う工務店|小林建設

スタッフブログ

先週10月9日、苦労ばかりかけて来た母が亡くなり、その最後を病院で看取りました。

今回は発熱しだしてから5~6日で脈拍がおかしくなり、後の4日間は病院へ泊り付添いしました。解熱剤と氷嚢により、朝方近くになると37度位に下がるのですが、夕方近くになると40度近くに上昇するのが3日間続きました。あまり冷すと血圧が下がるので、途中からは水に浸したタオルを額に乗せてやりました。母は、何も言わず口で呼吸するだけでした。

私は、1時間位寝ては起きて、様子を見、手を握ってやりました。最初の頃、手も一時体温が40度近くの時は熱かったのですが、それ以後は熱が出ても手足は冷たいままでした。私が手を握り1~2時間経つと少し温もってきます。以前は握っている内に私の体温が伝わり、ぽかぽかしてくるのが普通でした。しかし、最近は私の手の方が冷たくなってくるような感じでした。

母は9日の夜、8時10分頃私たち兄弟姉妹皆が集まり、夕食を済ませたのを待っていたように息を引き取りました。じっと握っていた母の手がほのかな温もりを残していました。これが本当に息を引き取るということなのかと・・・・・初めての経験でした。

息を引き取る2時間位前から肩で息をするようになり、院長先生も「厳しい状況です」とおっしゃっていました。私たちは母の目の前でそれぞれに「別れのあいさつ」をしました。
「母さん、永い間ご苦労さん。ありがとう。」「皆をここまでありがとう。」と呼び掛けながら涙を押さえることが出来ませんでした。そして、母は息を引き取りました。
「楽になったね。良かったね。」息を引き取った後に言った言葉でした。

母が平成16年9月に入院してから言葉をしゃべることが出来たのは、平成18年10月頃までだったのではないかと思います。私が怪我をして見舞いに行けなかった2ヶ月の間に症状が悪化し、病院からの知らせを受け、松葉杖で病室に行った時は脳梗塞が進み、息子が来てくれたという反応もなく言葉が出なくなっていました。

いろいろと話したいことがあったろうにと思うと残念でなりません。
今となっては母の、あの世での幸せを願うことしか私たちには出来ません。
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