2010年の10月から日本プロバスケットボールリーグに“スサノオマジック”が参戦します。
どうしてまた島根でバスケットボールなのかと思う人もいるかと思いますが、「バスケットボール」は島根が全国に誇るスポーツだったのです。
松江工業高校はその昔、インターハイ、国体で全国制覇を各2回している名門だったのです。
しかし、その当時からバスケットボールは、全国的に見れば主流とは言えないスポーツだったのではないでしょうか。
何と言ってもその当時から一番は野球でした。
今こそテレビ放送するサッカーでさえ、その当時はプロリーグなど無かったのですから。
私は在学中に学生食堂のテレビで、全国高校総体での母校が全国優勝する瞬間を見ていた覚えがあります。
確か相手は、現在でもトップクラスの秋田能代工高ではなかったかと思います。
優勝報告会で、校長先生が誇らしく祝福されていたのが、つい先日の事のように思い出されます。
バスケットボール部員の中には、190センチ以上の選手もいましたが、私の目に焼き付いているのは他校の選手を振り回す、すばやい動きとフェイントのうまい選手です。
島根では国体を機に横田高校でホッケーに力を注ぎ、全国にその名を知られるようになりました。
何事も情熱のある指導者とそれにうまく乗せられて予想外の力を発揮する選手の姿がそこにあります。
島根のスポーツのさらなる発展を見守っていきたいと思います。
どうしてまた島根でバスケットボールなのかと思う人もいるかと思いますが、「バスケットボール」は島根が全国に誇るスポーツだったのです。
松江工業高校はその昔、インターハイ、国体で全国制覇を各2回している名門だったのです。
しかし、その当時からバスケットボールは、全国的に見れば主流とは言えないスポーツだったのではないでしょうか。
何と言ってもその当時から一番は野球でした。
今こそテレビ放送するサッカーでさえ、その当時はプロリーグなど無かったのですから。
私は在学中に学生食堂のテレビで、全国高校総体での母校が全国優勝する瞬間を見ていた覚えがあります。
確か相手は、現在でもトップクラスの秋田能代工高ではなかったかと思います。
優勝報告会で、校長先生が誇らしく祝福されていたのが、つい先日の事のように思い出されます。
バスケットボール部員の中には、190センチ以上の選手もいましたが、私の目に焼き付いているのは他校の選手を振り回す、すばやい動きとフェイントのうまい選手です。
島根では国体を機に横田高校でホッケーに力を注ぎ、全国にその名を知られるようになりました。
何事も情熱のある指導者とそれにうまく乗せられて予想外の力を発揮する選手の姿がそこにあります。
島根のスポーツのさらなる発展を見守っていきたいと思います。