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競走馬の思い出 | ブログ | 出雲市で注文住宅・古民家再生を行う工務店|小林建設

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  • 競走馬の思い出

  • 2010/05/31(月) すべて
第77回日本ダービーが行われ、関西馬で内田博幸騎乗のエイシンフラシュが優勝しました。
今年の重賞レースは全て関東馬が優勢で、関西馬の名が出て来なかったのですが、ここにきてやっと“勝利”これにより秋からのレースが楽しみとなりました。

ところでこの馬のように最後の直線で抜け出し優勝するレース運びは、競馬における最もドラマチックで絵になるシーンではないでしょうか。

私が最初に競馬というものを知ったのは、新聞に「アカネテンリュウ、リキエイカン」の活字が載っている頃です。続いて「タニノムーティエ」、「女傑トウメイ」、「ヒカルイマイ」、この「ヒカルイマイ」は私が最も好きな馬の一頭です。脚質は“追い込み”最後の直線、最後尾から一気に抜け出して追い込んで来るところの切れ味は抜群でした。皐月賞、NHK杯、日本ダービーと制し、三冠にあと一つの夢直前の病気により、その後は出走できなかったようにおぼえています。この馬は、親の名もはっきりしない時に名血の筋ではないので「サラ系」としか書いてなかったのです。

その後は、あの公営出身の「ハイセイコー」、この馬の出現により競馬がよりいっそう大衆化したように思います。また、タニノムーティエの弟「タニノチカラ」、この馬は走るフォームがすばらしく、頭をぐっと下げて走るのです。このフォームは最高で馬の美というものを表現していました。

「トウショウボーイ、グリーングラス、テンポイント」この三頭は、それぞれの持ち味を生かした並び立つ三つ巴の戦いを繰り広げた同窓生です。この三頭がデッドヒートを演じたレースは、出走頭数は少ないけれど、それだけに展開のあやというものが無いマッチレースのすばらしいものでした。

それにしてもこの中の一頭「テンポイント」も忘れることのできない最も好きな馬の一頭です。悲運の名馬テンポイントが、苛酷な斤量66.5kgを背に、あの小雪の舞う中を走った京都競馬場。足を骨折、競走を中止し足首から先をプランプランとさせながらたたずむ馬の横で、すぐ飛び降り愛馬をさすり思いやる鹿戸騎手の姿が今もはっきりと目の奥に焼きついています。

このことがあってから馬の負担重量に制限が加えられるようになりました。いくら強いからといってもあまりの重量で、馬自身の生命が奪われることになってしまいます。それにしても競馬は他のスポーツ、ギャンブルとは違い、生命のつながりを感じることができるロマン溢れる楽しみいっぱいのものだと思います。
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