青森県から北海道を経て、山陰両県に姿を現した「みちのく丸」の寄港行事が、31日の中海航行でハイライトを迎えました。
一大イベントを支えたのは、操船スタッフとして奮闘した地元のヨットマンの人達で、北前船の雄姿を現代によみがえらせました。
スタッフは、鳥取、島根のヨット愛好者の男女30人、この内2人は、5月青森に行って2日間の練習航海を積みました。
安来市の歓迎式典で、大根島付近まで曳船で引かれスタートに備え、船長の号令で帆上げ作業が始まり、高さ28メートルの帆柱に約400㎡もある1枚帆を操るロープは、32本に及びました。
青森県から来た指揮者達は、全体の動きを見ながら30人に指示を飛ばしました。
ヨット競技で国体3連覇の経験を持つ菊地耕三さんは、人の力だけでこの大きさを動かすなんて昔の人はすごいと感心し、協調性の大切さを改めて感じたそうです。
江戸時代から明治時代にかけ、中海には北前船が往来し、安来港からは鉄が積み込まれ、北陸の刃物産業などを支えました。
その命脈は、世界に誇る日立金属のヤスキハガネにも繋がっています。
一大イベントを支えたのは、操船スタッフとして奮闘した地元のヨットマンの人達で、北前船の雄姿を現代によみがえらせました。
スタッフは、鳥取、島根のヨット愛好者の男女30人、この内2人は、5月青森に行って2日間の練習航海を積みました。
安来市の歓迎式典で、大根島付近まで曳船で引かれスタートに備え、船長の号令で帆上げ作業が始まり、高さ28メートルの帆柱に約400㎡もある1枚帆を操るロープは、32本に及びました。
青森県から来た指揮者達は、全体の動きを見ながら30人に指示を飛ばしました。
ヨット競技で国体3連覇の経験を持つ菊地耕三さんは、人の力だけでこの大きさを動かすなんて昔の人はすごいと感心し、協調性の大切さを改めて感じたそうです。
江戸時代から明治時代にかけ、中海には北前船が往来し、安来港からは鉄が積み込まれ、北陸の刃物産業などを支えました。
その命脈は、世界に誇る日立金属のヤスキハガネにも繋がっています。