街中を出て郊外から田舎道を車で走っていると、昔とは違い整然と区画された田園風景が広がってきます。
田んぼは既に田植えが終り、緑色の苗が五月の風のなすがまま揺れています。
私が子供の頃は、もっと田植えが遅かったように思います。
田んぼの手伝いはあまりやらなかったのですが、覚えているのは、田面を平坦に均すのに道板のようなものを親父と一緒に押し均した事があります。
裸足の足が田んぼの中にめり込んでしまい、足を抜くのに苦労したものです。
それと「ババ引き」とか言っていたのではないかと思いますが、苗を植えるのに適度な間隔を保つための道具を使い、田んぼに碁盤の目のように線を引くのです。
足には蛭が何匹も吸いつき、血を吸いすぎたのか手で払うと丸々と肥えてしまった蛭は、ぽろりとあっけなく落ちたものです。
それともう一つ思い出すのは、家で飼っていた牛です。
田植え前になると、牛で引張って田起しをしていたものです。
田んぼまでの約1kmの道中、親父が私を牛の背中に乗せてくれたものです。
牛の背中に乗っていると、歩く度に私の体は右に左に揺れていました。
牛も飼っていると犬、猫と同様に愛着がわくものです。
田植え時期になると田んぼを見る度、あの牛の青みがかった大きな目を思い出します。
田んぼは既に田植えが終り、緑色の苗が五月の風のなすがまま揺れています。
私が子供の頃は、もっと田植えが遅かったように思います。
田んぼの手伝いはあまりやらなかったのですが、覚えているのは、田面を平坦に均すのに道板のようなものを親父と一緒に押し均した事があります。
裸足の足が田んぼの中にめり込んでしまい、足を抜くのに苦労したものです。
それと「ババ引き」とか言っていたのではないかと思いますが、苗を植えるのに適度な間隔を保つための道具を使い、田んぼに碁盤の目のように線を引くのです。
足には蛭が何匹も吸いつき、血を吸いすぎたのか手で払うと丸々と肥えてしまった蛭は、ぽろりとあっけなく落ちたものです。
それともう一つ思い出すのは、家で飼っていた牛です。
田植え前になると、牛で引張って田起しをしていたものです。
田んぼまでの約1kmの道中、親父が私を牛の背中に乗せてくれたものです。
牛の背中に乗っていると、歩く度に私の体は右に左に揺れていました。
牛も飼っていると犬、猫と同様に愛着がわくものです。
田植え時期になると田んぼを見る度、あの牛の青みがかった大きな目を思い出します。